福岡で起きた道路の陥没事故では誰も怪我などをしなくて不幸中の幸いでした。
そしてこの事故は事故そのものよりも、その復旧の早さが話題となり世界的に報道されました。
実際、オーストラリアでもこのニュースは大きく報じられていました。
海外の人からどのように見られているかを極端に気にする多くの日本人は「世界中から絶賛されている」という報道を聞いて喜んでいると思います。
それにしても日本人はなぜ他の国や他の人からどう思われているかをこれほどまでに気にするのでしょうね??
オーストラリア生活が長くなってきた私も未だに日本や日本人が世界からどのように見られているのかはやはり気になりますし、褒められているのを聞くとやはり嬉しくなってしまいます。
市の謝罪対応まで絶賛
さて、以下のITmedia ビジネスオンラインの記事でも、今回の事故の復旧の早さがどれだけ世界を驚かせ、賞賛されているかが書かれています。
福岡の復旧工事に海外絶賛! その裏で (1/4) – ITmedia ビジネスオンライン
海外の反応はどんなものだったのか。例えば、米NBCテレビの人気モーニングショー『トゥディ』で、この話題が取り上げられたのは11月15日のこと。司会者が他の出演者に「あんな陥没が米国で起きたら、どれくらい時間がかかると思う?」と問いを投げかけると、出演者らは「1カ月?」「6カ月?」と答えた。司会者は「こういうものは一晩で修復される類のものではないのだが、日本では、これをたったの2晩で直してしまった。そうなのです、2日です」と言うと、スタジオが驚きに包まれた。
英エクスプレス紙は、英国内で昨年発生した陥没事故と比較してこう皮肉っている。福岡で陥没した道路は1週間で復旧したのに、「(ロンドンから北にある)セント・オールバンズで2015年10月のはじめに道路にできた幅20メートル、深さ10メートルの陥没事故では多くが避難したが、そのうち5世帯は14カ月近く経った今も帰宅できないでいる」と書く。
またTwitterなどでも世界中の人たちが自分の国なら何カ月も、下手したら何年もかかるだろうと発言し、日本を賞賛している。さらには、日本人の気質にまで言及するメディアもある。
そして、これだけ早く復旧させたのに謝罪までしている市の対応についても話題になっているようです。
インドのDNA紙は、「この予測できない状況にあって、ほとんどロボットのような能率さで迅速に対処したのに、市の幹部は謝罪をするのである。日本人の礼儀としては典型的だ」と書いている。またオーストラリアのシドニー・モーニング・ヘラルド紙も、「復旧工事の信じられないような能率にかかわらず、福岡の高島宗一郎市長は不便を被った人たちに対して真面目に謝罪をした」と驚きを隠さない。
この記事の後半では復旧のことよりも何故この事故が起きたのかという原因について指摘されています。
早く復旧できたのはなぜ?
まあ、やはりこういう記事を読んだりすると日本人としては嬉しくなるでしょう。
私だって批判されるよりは褒められたほうが嬉しいですし、こういう、「海外での反応」を読んで悪い気はしません。
しかし、実は私はこの話を聞いてなんとも喜んでばかりはいられない気分になってしまいました。
というのも、世界のニュースでは「私の国だったらこれほどの事故の復旧には何ヶ月もかかる」という理由で話題になっているわけですが、つまりこれは世界の中で日本がどれだけ特殊かということを示しているわけです。
この道路を復旧させるために昼夜を問わずたくさんの人達が働きました。
私もニュースで夜に列をなしているタンクローリーの映像を見ました。
多くの他の国ではまずは安全対策をしてそれ以上崩れたりしないようにはするでしょうが、それ以降の復旧工事となるとやはり何ヶ月もかかるのが普通でしょう。
きっと昼は工事をしても夜まではしないでしょう。
確かにこの道路の周辺のお店は売上が減って大変だと思いますが、私はここまで異常な早さで復旧をしなくてもいいのではないか?」と思ってしまうのです。
この復旧の早さやその生真面目さはまさに日本人の真髄という感じがします。
日本以外の国では復旧が遅くてみんなその遅さや不便さに文句を言いつつも普通に毎日を過ごしているわけです。
「早く復旧すればそれに越したことはないじゃないか」と言う意見の人が多いのは分かっています。
しかしこのブログでも何度も指摘していますが、便利さを求めると結局は自分が大変になるのです。
電車が遅れても許す
先日オーストラリアで私が乗ろうとしていた電車のドアが故障して駅で止まったまま1時間以上動かなかったことがありました。
ドアが閉まらなくなる故障はこちらでは本当に頻繁にあります。
別の線路を使って後続の電車を通すということもされなかったため、その路線は故障した電車が排除されるまで全てずっと止まりっぱなしでした。
1時間以上待たされて、さすがに一部の客は駅員に抗議をしていましたが、私を含めた大半の客は不満に思いつつも黙って待っていました。
まあ、故障したのは駅員のせいではありませんし、彼らだって早く復旧してうるさい客が去って欲しいと思っていたことでしょう。
その時私はたまたまオーストラリア人の知り合いと一緒にいて話をしていたのですが、彼女は「道路をあっという間に復旧した日本だったらこういうことが起こってもすぐに修理するのでしょうね。こういうのは日本人に頼むべきね」と言っていました。
それに対して私は、「それをすぐに直したり、そもそも故障しないように日々のメンテナンスを厳格にすることは一見、素晴らしいことのように思えるけど、そのために日本人はたくさん働いているんだよ。オーストラリアはこうやって適当だったり不便なことはあるけど、その代わり自分が働くときに日本人みたいに死ぬほど働かなくて済むのはこういう適当さが許される社会だからだよ。だから自分はオーストラリアで働くことを選んだんだよ。」と言ったところ、彼女はとても納得しているようでした。
不便でも幸せになれる
私はオーストラリアで働いていて常々思うのですが、こちらでの仕事は本当に楽です。
トラブルがあっても客が待っていても、よほどの重大な緊急要件でない限り、終業時間になると「明日対応するから」と返事をしてみんな帰ってしまいます。
客側からすればやはり不満はあるでしょうが、彼らだって彼らの客に対して同じような対応をしているわけです。
結局、みんなが定時に帰っているから自分も定時に帰れるのです。
これとは全く逆を行っているのが今の日本です。
客が無理な要求してきたら残業をしてでもなんとかその要求に答えようとします。
客が夜遅くまで仕事をしていれば自分もそれに合わせて夜まで仕事をしないとなりません。
客はそれで満足でしょうが、その客も結局は彼らの客の要求を満たすためにたくさん仕事をしたり夜まで働かなければならないのです。
これではお互い首の締め合いです。
道路を早く普及させてすぐにまた便利な生活を取り戻すのも同じことです。
すぐに道路が使えるようになればみんな満足でしょうが、その道路の利用者もまた他の人の要求を満たすために必死になって働かなければならないのです。
正直に言って、オーストラリアで電車が頻繁に故障したり止まったりしてイラッとすることはよくあります。
「ちゃんとメンテナンスしておけよ」
「すぐに代替の電車を用意できるようにしておけよ」
と思うわけです。
でもそういうときは私はすぐにこう思い直すのです。
「こうやって不便な思いをする代わりに自分の仕事も楽なんだ。だから大目に見よう」
と。
「かわずんはいつも日本の批判ばかりする」と言う人もいるかもしれません。
でも、私としては批判をしているつもりはなく、「復旧が他の国のように遅くても、みんなもう少し心に余裕を持って、多少の不便さには目をつぶって他の人に寛容になり、みんなでリラックスして人生を過ごせるようになったらいいのではないか?」と思うわけです。
私は便利でも朝から晩まで働かなければならない社会よりも、少しくらい不便でも気楽に働けて仕事は定時に終わって家族との時間を楽しめるような人生を送れる社会のほうが幸せだと思います。
みなさんはどう思いますか?