過労死するほど働く日本人へ。言い訳はもうやめよう。あなたが本当に大切にするべきものとは?

私は数ヶ月前に休暇で日本に一時帰国していたのですが、その時に久しぶりに二人の大学時代の友人に会って一緒にご飯を食べてきました。

その二人の友人はどちらも日本の会社で働いているわけですが、二人とも仕事でとても疲れているようでした。

彼らと会ったのは日曜日でしたが、一人の友人はその日も仕事の帰りということでした。

私に会って間もなく彼らが口にした言葉は、「もう会社辞めてぇー」と、「今日も仕事だった。疲れた・・・」でした。

そんなに毎日大変だったり、疲れているのにわざわざ私と会うために時間を割いてくれた事自体はとても嬉しいことなわけですが・・・当日(日曜日)にも働いていたという友人に、「なんでそんなに忙しいの?」と聞いてみました。

彼は最近、まだ創業してから間もない会社に転職したらしいです。

その会社はまだ利益があまり出てないせいで資金が無く、仕事が増えても人員がこれ以上増やせない状態ということでした。

そして、この時期は特に忙しいので人員不足をカバーするために自分が働かざるを得ないと言っていました。

彼曰く、給料はかなり安く、残業代も出ていないとのこと。

もう一人の友人が、「それって労働基準法違反だしめちゃくちゃブラックじゃないの?」と聞いたら、「そうだねぇ」と弱々しく答えていました。

この社会から受けている恩恵に感謝して守っていくべき?

また、滞在中に会った別の知り合いもやはり「仕事が大変」と言っていました。

日本にいると、「仕事は特に大変ではないよ」と言う人に会うことはほとんどありません。

私が、「なぜ労働者が犠牲になってそんなに働かなければならないの?」「『仕事なのだから辛いのは当たり前』という風潮の日本の社会や労働環境は異常じゃないの?」と言うと、彼はこう答えました。

「そうかもしれないけど、今までの日本人が築き上げてきたこの社会は決して悪い社会とは俺は思ってない」

「おかげでこれだけ国が発展して自分たちはその恩恵を受けている」

「自分たちはそれを守って継承していく責任があるのではないか」

一見、立派な意見のようにも聞こえますが・・・

こんな社会でも感謝して継承していくべきなの?

確かに日本は経済的に大国となり、先進国と呼ばれています。

しかしその裏ではこの社会の犠牲になっている人が大勢いるということを忘れてはいけません。

例えば以下の記事が指摘しているように。

過労死が原因と見られる死亡件数はなんと年間1万人!! | 疲労回復実践会~わずか10秒で熟睡!!不眠症やうつ(鬱)病を改善~

Q3:過労死の原因はどのような病気でしょうか?

A3:過労死の死因の80%は急性心筋梗塞、急性心不全など心臓の病気が60~70%を占め、次いで30%がクモ膜下出血、脳出血と考えられております。

全国で1年間に1万人のサラリーマンが過労死になっていると推測されております。

Q4:過労死と認定された数を教えて下さい?

A4:年間500~800件近い申請がでますが、認定されるのは数パーセント以下です。労基署段階での過労死労災認定件数は1991年度18件、1992年度18件、1993年度31件、1994年度32件、1995年度76件と増え続けています。

今までの日本人達がかつて世界第二位にまで上り詰めた経済を作り出してきたということに関してはすごい事だと思います。

しかしその一方で、その社会は年間推定1万人もの過労による死者を出しているわけです。

これらの亡くなった人達の命は、「国の経済を発展させていくためにはある程度の犠牲は致し方ない」という類のものなのでしょうか?

これだけの大勢の犠牲者の上に成り立っているような社会や経済を、「ありがたく思い、継承していく」ことは本当に重要なのでしょうか?

そしてそんな社会を守ることは、あなたや、あなたの家族の幸福に繋がっているのでしょうか?

もちろん、今の社会で「心から幸せ」だと思っている人も中にはいるでしょうから、そういう人にとっては私の言うことなどありがた迷惑でしょう。

しかし、以下のような記事を見る限り、そういう人は少数派なのではないでしょうか?

白書もスルー? 40、50代男性の自殺率の高さ:日経ビジネスオンライン

 「戦後やむにやまれぬ事情」で企業ファーストで制定された労働基準法をそのまま使い(参照「有休取得妨げる『アリバイ労働』と『戦後特例』」)
「残業上限100時間未満」などと過労死を合法化させ、
フルタイム労働者の年労働時間は1990年以降まったく変わっていないばかりか、
1976年には17%だった平日10時間以上労働の割合は2006年には42.7%まで増加し
管理職の割合は8.2%から、3.2%と半分未満に減少し(1980年と2005年の比較)

おまけに……、正社員の賃金はこの20年間、ほとんど変わっていない。

戦後から何が変わったのか

……ん? いったい戦後から“ナニ”が成長したんだ?
お父さんたちの職場は、発展途上国となんらかわらないじゃないか。

さらに今後は、正社員との賃金格差の大きい40歳以上の非正規社員が増える。
日本のこの異常な「男性問題」は、何に起因しているのか。
なぜ、経済大国の“はず”なのに、「中高年の自殺率」は発展途上国並みに多いのか?
なぜ、紛争に巻き込まれているわけじゃないのに、強制的に戦闘参加を強いられている国並の「幸福感」しか、男性たちは感じることができないのか?

経済大国になったのに自殺率は発展途上国並」ーこの言葉が現在の日本人の幸福度を表してします。

経済大国になったからどれだけ豊かで幸せな人生を送っている人が多いのかと思えば、その実態は、「中高年の自殺率が高く」、「紛争が起きている国並みの幸福感」しか感じることが出来ない人達ばかりの悲しい国になってしまったわけです。

「経済が大きくなって受けている恩恵」とは何ですか?

それは人々を本当に幸せにしていますか?

さらに言うならば、日本が世界第二位の経済大国などと言われたのは今は昔。

経済規模はとっくに中国に追い越され、日本人の労働時間と比べたら話しにならないほどしか働いていない人達の国にも追い上げられてきている始末。

そのくせ過労死者数は世界でトップクラス。

本当に悲しすぎる現実です。

労働力が資源の国だから働かないとならない?

「日本人はたくさん働き過ぎ」という意見に対して、「日本は資源が無く、労働力だけが資源なのだから、国民が一生懸命働かないと日本はダメになる」という意見をよく耳にします。

いかにも、「みんなが大して働いていない海外の国は資源が豊富にあるから」であって、「もしそれらの国のように資源があったら日本人はこんなに働くようになっていなかった」というように聞こえます。

本当にそうでしょうか?

近年、日本の領海内の海底で膨大な量のレアアースやメタンハイドレートなどの資源が次々と見つかっています。

これらの資源を低コストで採掘できるようになるまではまだ相当な年月がかかると思いますが、これらの資源が将来、効率良く回収できるようになったとしたら日本は一転して資源大国になる可能性があります。

何しろ日本は国土は大きくありませんが、領海の面積はものすごく大きい(なんと世界第六位です!)ので、その海底に資源が眠っているとしたらものすごい量になる可能性があります。

では、晴れて資源大国となった暁には上記の意見のように、日本人は働かなくなり、過労死も無くなるのでしょうか?

断言してもいいですが、そうはならないでしょう。

資源があっても日本の会社は「もっと、もっと」と貪欲に利益を求め、労働者に犠牲を強い、多くの人達は今と同じく奴隷のように働かされることになるでしょう。

結局、日本人の社畜思想が変わり、社会が変わらない限り資源があろうとなかろうと関係無いのです。

「楽をしてはならない」という圧力がある社会

ここで以前、このブログ宛てにメールを下さった方のメッセージの内容の一部を紹介したいと思います。(この方の了解は得ています)

私自身は幸い(?)にも日本にいながら残業なし、有給全消化と余裕を持って働けています。ところが友人たちはサービス残業、有給取得ほぼ不可、果てはサービス休日出勤というおぞましいものが常習化した職場で働いています。
彼らの話を聞くたび「これが世間の常識なのか、これが本来あるべき姿なのか、日本という国を支えるために自分もこう働くべきなのか」と思い悩んでおりました。

楽をしていると罪悪感を感じる日本社会は本当に異常です。

そして、冒頭で紹介した私の知人についてもそうでしたが、なぜ日本人は、「日本を支えるために」、「会社のために」という考えが出てくるのでしょうか?

日本人は学校を卒業したらみんな、「国のために」などと考えて就職をしていくのでしょうか?

違いますよね?

働くのは自分のためでしょう?

少なくとも、就活する時に、「俺は日本という国を支えるために働くんだ!」「会社のために命をかけて働くぞ!」という人はまずいないと思います。

それなのに仕事が大変になってくるとなぜか、「資源がない日本では国民がたくさん働かないとならないんだ!」となるわけです。

こうやって言う多くの人は、死ぬほど働かされていることに対する不満に対してどこかで聞きかじった、「一見、正論に聞こえる意見」を主張し、自分を納得させている(あるいは自分を慰めている)に過ぎないのです。

「この社会はおかしい」「仕事が辛すぎる」と感じても、それを解決しようとするのではなく、「国のため」「会社のため」と言い訳をして、何も出来ない、しようともしない自分を納得させて働き続けるのです。

私は今の時点で15年以上オーストラリアに住んでいるわけですが、今まで「オーストラリアのためなら仕事が大変でも構わない」などと言っている人に一人として会ったことがありません。

オーストラリアで「たくさん仕事をしている」と言う人は大概、ちゃんと高い給料をもらい、経済的に裕福な生活をしています。

つまり、彼らは自分のために働いているのです。

私の以前の記事「日本の教育は社畜を生産する洗脳教育」でも述べましたが、海外から見たら異常に思える日本人のこういった自己犠牲的精神は、「そうやって教えられて育ってきたから」というのが大きいと思います。

「和を乱してはならない」

「勝手なことをせず、みんなに合わせて行動していくことが大事」

「全体のことを考えて行動しなさい」

そう教えられて育ち、社会人になると、

「みんなも倒れそうになりながらも働いているのだから自分だけ我儘を言うのは良くない」

「自分が犠牲になってでも会社のために働かないとならない」

「資源の無い日本のために一国民として頑張らないとならない」

となるわけです。

あなたは何のために働いているのですか?

ところで、以前の私の記事「漁師とMBAビジネスマンの話から得るべき教訓とは?」で、Phaさんという方が出てくるビデオを紹介しました。

「一生懸命働き続ければ幸せが待っている。そう言われて働き続けたこの国。皆さんは今幸せでしょうか?」

「働かない若者が増えていくと日本はどうなっていくのでしょう?心配です」

というナレーションで始まるこのビデオの中で、Phaさんに対してレポーターが、「働きたくない若者ばかりだと日本はダメになるのでは?」と聞きます。

それに対してPhaさんは、「ダメになってもいいんじゃないですか?国を支えるために国民がいるわけじゃない。人間がどう生きていきたいかに合わせて国の形はあるべき」と答えていました。

私は、Phaさんのように「働かない人生」がいいのだと言いたいわけではありません。

しかし、「死ぬほど働く意味はほとんど無い」とは言いたいと思います。

過労死によって年間1万人という、内戦状態の国ではないかと思うほどの膨大な数の死者を出しているにもかかわらず経済は一向に良くならない。

それどころか、日本ほど労働時間の多くない国々に経済でどんどん追いつかれ追い越されている。

国民が必死に働いたからと言って経済が良くなるわけではなく、そして、経済が良くなったからと言って幸せになるわけでもないことは日本の現状を見れば明らかでしょう。

寿命を縮めるような働き方をしている人達は一度立ち止まって、「一体自分は何のために働いているのか?」を考えてみてください。

国のため、会社のためですか?

和を乱さないようにするためですか?

あなたが働くのは、あなた自身やあなたの家族の幸せになるためではないのですか?

今のあなたの働き方はそれらの幸せに繋がっていますか?

 

「周りのことを考えろ」「和を乱すな」そういった思考が良いことが当たり前だと考えていませんか?

あなたがそう信じるのは、日本の教育で散々教え込まれてきたからです。

それは本当に良いことなのでしょうか?

興味がある人は以下の記事を読んでください。

日本の学校教育は同調圧力を美化し、社畜を生産する洗脳教育日本で現在子供たちに行われている教育が一体、何を目指しているのか考えたことはありますか?今の教育で育った子供がどのような考えの大人になるか考えたことはありますか?教育はその国の方針が反映されています。日本が国民に求めているのはどの様な人間になることでしょうか?...

 

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