レールから外れることを怖れる日本人と、何度でもやり直すオーストラリア人

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今回は以前の私の記事(ブラック企業を生み出しているのはあなた自身?)の中で紹介した記事の中である大学生が言った一言から。

大学1年生に聞きました。働くことに不安はある? | 就職ジャーナル

「新卒で就職した会社で、限界まで頑張ってもその仕事が合わなければ転職を考えると思うが、実際、転職は難しそう。それが、最初の就職に失敗できないというプレッシャーにもなっている。」

~日本人はみんなと一緒が大好き~

個性が大事とかよく聞く割には日本人はとにかく「みんなと同じ生き方」が大好きです。

いえ、厳密に言うと、みんなと同じようにして生きていかないと厳しい人生が待っているからそれ以外の道を選べないのです。

ここで言う日本人が好きな「みんなと同じ生き方」とは大雑把に言うと

大学に入る→就職する→結婚する→子供をもつ→ずっと同じ会社で休みなく働く→定年で退職

のような感じです。
このレールに乗っている限り大概の人は安心するでしょう。

箇条書きでいくつかこのレールのルールを書いてみましょう。

ルールその1: 失業してはいけない

ルールその2: もし失業してしまったらとにかく期間を開けずに次の仕事につかないといけない

ルールその3: 間違っても派遣やアルバイトになったりしてはいけない

ルールその4: 休めるのは長くても一週間程度

ルールその5: とにかく人生の退職までの時間を全て正社員として過ごさないといけない

そして、これらのルールから一度でも外れるとその後いくら頑張っても這い上がれなくなるのが今の日本の社会なのです。

日本の社会はとにかく一度道から外れた人(往々にして敗者と呼ばれます)にとんでもなく厳しいですからね。

~非正社員時の経験は完全無視?~

日本では正社員以外(例えばアルバイトなど)の期間の経験はなぜか全くカウントされないか、軽く見られます。

それどころか、そういう非正社員であった期間があること自体がマイナスに取られます。

しかし、オーストラリアでは逆にアルバイトや契約社員の期間についても立派な経験として考慮してくれます。

経験は経験です。

どのような職務形態だったかなど関係ないではないですか。

このように言うと必ず「そうは言ってもアルバイトは責任もない仕事だから」という人が出てきます。

日本ではこのような意味不明な理由で非正規の期間の経験が無視されます。

しかしそのくせ都合のいい時には「アルバイトだろうと給料を貰っているのだから責任感をもって仕事しろ」などと言うのですから滅茶苦茶です。

一体、アルバイトは責任があるのか無いのかどっちかにして欲しいものです。

そもそも責任があるポジションだろうとそうで無かろうとそれぞれの役割で得られる経験や能力が必ずあるはずです。

日本ではアルバイトとか契約社員だというだけの理由でそこでの経験が考慮されないのは本当に理解に苦しみます。

なにはともあれ、日本では大学を卒業したらすぐに正社員として雇われて働き始めないとなりません。

前述した日本の大学生のような悩みが出てくる原因の一つは、大学を卒業する時点でやりたい仕事も大して決まっていないのに何かしら適当な会社と職種を探して就職をしないとならないからです。

そして そのような悩みが発生する根本的な原因はレールから外れた人に対して異常に厳しい日本の社会にあります。

そもそも大学を卒業する時点でこれからの長い人生においてずっとやっていきたいと思えるような仕事を心に決めている人などどれだけいるのでしょうか?

しかも、例えやってみたいと思う仕事があったとしてもそれが本当に自分に合っているかどうかなど実際にやってみるまで分かりません。

~オーストラリアでは人生の進路変更はあなたの自由~

オーストラリア人は今の職種が合わないと感じたり、別の職業に転職したいと思ったら会社を辞めて新たに学位を取るために学校に行き始めたりします。

そしてそのことを誰も変だと思いません

しかもそうやって会社を辞めたりすることで次の就職時に不利になることもありません

見られるのはあくまでもその人が会社がその仕事のポジションに求めている能力や学位があるかどうかだけです。

私の身近な人の例を一つ紹介しましょう。

私のオーストラリア人の知り合いは60歳で学校に行き始めて教員の資格を取りました。

そして今は教師として元気に働いています。

これがもし日本だったらどうなるでしょうか?

例えば35歳くらいの人が会社を辞めて学校に行き始めたら周囲の人はどう言うでしょうか?

いい年してこれから学生?」

「若い子たちに混じって一人だけおっさん(おばさん)なんて恥ずかしい

そんなことしている暇があったら仕事したほうがいいんじゃない?」

「収入がなくて生活していけるの?」

等々・・・

本当に余計なお世話です。

それぞれの人がそれぞれ好きなように一回しかない自分の人生の道を考え抜いてそれがベストだと信じて選択した道なのです。

それをやると決めたのも本人ですし、実行するのもその人自身です。他の人は関係ありません。

第三者が上から目線でとやかく批評したり笑ったりする権利はありません

~仕事をしていない期間など気にしない~

それから、オーストラリアでは新しい職種への挑戦にも寛容ですが、仕事をしていない期間についても寛容です。

私の今のオーストラリアの会社で退職したある同僚は退職してすぐに夫婦で海外旅行に行き、帰ってきたと思ったらメキシコが気に入ったからメキシコに一年間住むと言ってまた行ってしまいました。

そして彼らは今はまた帰ってきて別の会社で仕事をしています

別の同僚は会社を辞めたあと一年ちょっといろいろな国を旅行してきてまた元の会社に戻ってきました

私はこういう話を聞いて未だにカルチャーショックを受けて驚くこともあるのですが、オージーの他の同僚などは普通に話を聞いています。

ちなみにオーストラリアでは仕事をしていない期間に一年間海外旅行に行っていたということが選考時に不利な条件として考慮されることはありません。

このような自由な人生を普通に送っている人たちを見ていると、ひたすらレールから外れないようにということばかりに気を取られている日本人はもっと外に目を向けるべきだといつも感じます。

もしこれが日本だったら、面接で「この期間は何をしていたのですか?」と聞かれ、「旅をして人生楽しんでいました」などと言ったら不利になりはしてもまず有利になることはないでしょう。

一回しかない人生なのに、決められたレールばかりに固執して生きていかないとならない人生は幸せなのでしょうか?

~本当の勝ち組とは?~

そうは言っても勿論、レールに乗ってそこから落ちないように生きていくのが好きな人もたくさんいるでしょうから、そういう人達はそれに集中して生きていけばいいと思います。

それもまたその人が選んだ人生です。

ただし、「レールから外れないこと=勝ち組」などとは考えないことです。

レールに乗るのが幸せな人もいれば、それ以外の道で生きていくのが幸せな人もいるのです。

もちろん、意図せずレールから外れてしまった人もいるでしょう。

そういう人も含めて強く言いたいのは、「どの道を取った人が勝ちなどという決まりはない」ということです。

日本の社会ではレールに乗っていれば勝ち組と見られるかもしれませんが、一度日本の外から物事を見るようになるとこんな窮屈な社会や人の考えは本当にちっぽけでくだらないものに見えてくるはずです。

ではどのような人が勝ち組なのか?

強いて言うなら、毎日人生が幸せだと感じている人、あるいは最後に自分の人生が幸せだったと思える人が勝ちなのです。

長い人生、みんないろいろと試行錯誤して時には失敗します。

挫折することもあります。

途中で疲れてゆっくり旅でもして休んでみたいと思うこともあります。

こういった色々なことを含めて幸せな人生だと思えるかどうかです。

そのためには、こういった様々な人の様々な人生を受け入れてくれる寛容な社会が必要なのです。

そしてそれとは逆に失敗も休養も許されずひたすらレールの上を走り続けないとならないのが今の日本の社会なのです。

あなたはどういう生き方が幸せだと思いますか?

追記:「人生のレールから外れることを勧めるような意見は無責任だ」というような意見の記事がネットにありましたので、それに対する私なりの考察と意見を書きました。良ければこちらも読んでみてください→「人生のレールから外れよ」というアドバイスが無責任ではない理由と本当のリスク