世間ではポケモンGOがやたらと流行ってますね。
オーストラリアでも頻繁に話題を耳にしますし、私の周りでもやっている人がたくさんいます。
私はゲームは滅多にやらないのと、ポケモン世代ではなくほとんど興味が無いのでやっていませんが。
それはさておき、先日(多分オーストラリアでポケモンGOがリリースされた直後くらいだと思います)、私が通勤で電車に乗っていた時、びしっとスーツを着てピカチュウのかぶりものを被った男性が私の前の席に座っていました。
こんなやつです↓
意味不明なルールだらけの日本
私はそのときまだポケモンGOの存在さえ知らなかったので、「なんで今頃ピカチュウ?」と思うと同時に「えっ!スーツでピカチュウの被り物って!(笑)」という感じで驚きました。
しかし驚いて見ていたのは私くらいのようで、周りの人は特に注目していないようでした。
その周りの人たちの無反応さを見て、「サラリーマンでこういう格好をしている人がいたらきっと日本では『仕事を何だと思ってる!』『社会人としての自覚が無い』などと叩かれるだろうな」と思っていたらタイミング良くこんな記事が掲載されました。
ドラゴンボールのネクタイで初出社!?新入社員のトンデモ服装問題|就職できない若者の「トンデモ言動」|ダイヤモンド・オンライン
私自身、キャラクター商品を否定している訳ではありません。ですが、やはりTPOに合わせたアイテムの選択は必要だと考えています。特にこういった小物 を「うっかり」や「つい、いつも通りに」大切な日に着用してしまうのは恐ろしいことです。例えば、入社選考当日や入社初日などです。なぜならあまりに有名 なキャラクター商品は本人というキャラクターを容易に超えてしまうからです。
~(中略)~
ビジネスである以上は、仲間がいてお客様がいるというグランドルールの中でふさわしい服装を考え、行動しなければなりません。その中でどれだけ自分を出すか、出さないかのバランスが重要です。
この筆者は入社選考当日や入社当日の服装やスタイルなどについて語っていますが、これらに限らず日本は全般的に言ってこのような「仕事なのだからXXをするべき/するべきではない」というのが多すぎなのです。
例えば、上記の記事でも触れられていますがスーツに白い靴下はダメというのはよく聞く話です。
かく言う私も日本で働いているときは常にダーク系の靴下で、それ以外考えたこともありませんでした。
他にも、リュックサックはダメとか、安いデジタルは時計はダメとか、ネクタイの結び方はどうだとか。
まあよくぞそれだけ色々と「社会人としてのルール」というものを創り出したなという気がします。
こんなものはどこかの日本人達が全部勝手に創りだしたもので、それがいつの間にか「社会人ならば全員が従わなければならないルール」となってしまっただけのものです。
こんな、誰が得をするのか分からないようなルールだらけなのは恐らく日本だけでしょう。
現にオーストラリアではスーツを着てリュックサックを背負ったりデジタル時計をしている人などいくらでもいますし、誰がどんなネクタイの結び方をしているかなど誰も気にもしません。
「仕事の事」ならば全て正当化される日本の社会
全く日本の社会というのは面倒なところです。
一から十まで細かいルールがあり過ぎですし、こういう些細な下らない事にまでこだわるのは日本人らしいところです。
そして少しでも「大多数の人」と違っている人がいると「社会人としての自覚が無い」だの「常識がない」だの「学生気分が抜けてない」だのと批判します。
多数派なら正しいと無条件に思い込み、少数派を批判するこういう人達の常識こそおかしいのではないでしょうか。
そしてそういった「みんなルールに従うべき」「違うやつはおかしい」という社会的圧力が作り出す一つの結果がこれです↓
http://afpbb.ismcdn.jp/mwimgs/d/3/500×400/img_d315dff750f65596728e00301d5f1205220875.jpg
これはJALの入社式の写真ですが、大手の入社式などみんなこんな感じでしょう。
或いは合同就職説明会などでも同じように黒いアリのような集団がひしめいています。
この光景を見て世間の人達は「みんな整然としていて素晴らしい新人達だ」とか思うのでしょうか?
「気持ち悪い」「何か間違ってる」と思うのは私だけでしょうか?
私にはみんな同じ形をして個々の意志の無いロボットの集まりか、或いは北朝鮮辺りの軍隊の式典のように見えますが。
「うちは社員には自分の意見や個性など一切求めていません。会社が命令したことだけを実行してそれ以外に何かやることは全く期待していません。うちが欲しいのは命令を忠実に聞くロボットです」と言う会社ならまだいいんです。
でも、実際には「自分で考えて行動できるようにしろ」だの「個性を発揮しろ」だの言いますよね?
これだけ色々なルールで縛っておいて「個性を発揮しろ」は無いでしょう。
ここでは服装について話をしていますが、日本の社会にはこれ以外にもたくさんの「社会人ならばXXでなければならない」という有形無形のルールや圧力があります。
とにかく日本では仕事(社会人として生きること)を絶対視、神聖視し過ぎなのです。
仕事の事であれば普通に考えれば理不尽なことでも全て「仕事だから」「社会人だから」の一言で片付けられます。
「残業をすることは社会人として当たり前」
(「残業」のところは他にも「休日出勤」「有給を取らずに働く」「上司の言うことに常に服従」などを入れても良いです)
「客からの厳しい要求に耐えるのは社会人なのだから当たり前」
「仕事が辛いのは当たり前」
などなど挙げ出したらキリがありません。
理不尽な要求に対して日本人の労働者を納得させるのに「社会人だから~」というセリフがどれだけ簡単で強力なのか分かると思います。
スーツにスニーカー(!)でも全然OKなオーストラリア
それではオーストラリアではどうなのかを少し紹介したいと思います。
基本的にオーストラリアではみんなあまり自分や他の人の服装や身なりを気にしません。
冒頭で紹介したポケモンの帽子をかぶっていた人にしてもそうですし、他にもモヒカンの人や髪の毛を紫に染めた人が電車に乗ってきたり道を歩いていてもほとんど誰も注目しません。
また、スーツを着てスニーカーで通勤している女性もたくさんいます。
これには私も最初はあまりのミスマッチさに驚きましたが、彼らはオフィスに行くとちゃんとした靴に履き替えているようです。
合理的ですよね。
こんな自由な雰囲気の社会なのでオーストラリアに来ると日本人の男性も女性もだんだん服装に気を使わなくなってきます。
私もそのうちの一人で、オーストラリアではいつも履きつぶした靴などを履いていますが日本に帰ると周りの人のおしゃれさを見ていつも急に自分がダサく感じるようになります。
実際のところ日本人はあまりにも自分の服装や他人の 身なりを気にし過ぎな気がします。
例えばちょっとスーパーやコンビニに行ったりするときもきちんとした服装で行きますよね。
オーストラリアでは年頃の女の子がショッピングモールでパジャマのようなダラーッとしたジャージ姿で歩いていたりします。
日本の社会が息苦しい理由
私は別に「奇抜な格好をするのが個性」とか「きちんとした格好をするのが悪い」と言いたいわけではありません。
しかし日本は何から何まで「社会人としての常識」とやらで細かく縛りすぎな気がしてなりません。(社会人に限らず、このルールの多さは日々の生活からしてそうですが)
これらの小さい決まり事や暗黙のルールが集まって「仕事は絶対」「仕事は神聖なもの」というある意味信仰に近いほどの思想にまで至っているのではないでしょうか。
これが日本で「社会人として生き辛い」と感じる人が多い理由の一つだと思います。
逆に日本のような「息が詰まりそうなほど存在する数々の決まり事」が少ないオーストラリアでは仕事は全く神聖視されていませんし、会社や日常生活において日本で感じるような息苦しさを感じることもありません。
冒頭で紹介した記事の筆者が言うように、「TPOをわきまえて~」というのはある程度は確かに必要でしょう。
しかし、それが行き過ぎるととても息苦しい社会になるのです。
もしこの息苦しさを感じていない(あるいは気付いていない)人でも海外に一度出て戻ってきたらきっと私が言っていることが分かると思います。
そういう意味で、留学などで一度外の世界を見てみることは私は非常に良いことだと思います。
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ところで、社会人になると服装についてもものすごく多くの「マナー」がありますよね。
就活などはその典型で、マナーを気にするあまり皆同じ服装になってます。
これって当たり前のことなのでしょうか?
気になる方は以下の記事を読んでみてください。
>>【みんな同じ格好で気持ち悪っ】就活生を縛り付ける日本の「服装マナー」の異常さについて。