「茶髪生徒への黒髪強要は人権侵害!」と批判する前に、根本の原因を考えてみよう

大阪の学校で、地毛が茶色の生徒が学校から黒く染められるように強要され、大阪府に対して訴訟を起こしたニュースが話題となりました。

この学校には今も多くの抗議の電話がかかってきているようです。

「金髪の留学生が来ても黒髪に染めさせる」などを含めた呆れるような学校側の主張に対して、ネット上の意見もほとんどが学校を批判するものでした。

さすがにこの学校が主張するような、「日本人だったら黒髪が当然」というような意見を見なかったのは救いです。

ところでこの学校がなぜ、「海外からの留学生でも黒髪にさせる」などと、そこまで黒髪にこだわるのか、以下の記事を読んでやっと分かりました。

「茶髪がいると評判下がる」女子高生“黒染め強要”で学校側の言い分

原告代理人の弁護士が語る。

「学校側は指導の理由を、『茶髪の生徒がいると学校の評判が下がるから』だと言いました。金髪の留学生でも黒く染めさせるとのことです。

なるほど。

黒髪を強要した理由は生徒の為ではなく、学校のため、自分達のためですか!

もう、「正直でよろしい」と言いたくなります(笑)

あなたは本当にこの学校を批判できるのか?

さて、そもそも学校で髪の毛を染めるなという校則ができたのはどうしてでしたっけ?

「髪の毛を染めて遊ぶな!生徒の本分は学業だ!」だからですか?

典型的な不良の生徒が茶髪にしていたからですか?

多分、そんなところだと思います。

まあ、よく考えてみると、茶髪をさせなかったからと言って素行の悪い生徒が改心して模範的な生徒になるわけでもないですし、成績が悪い生徒がいきなり勉強をするようになるわけでもないのですが(笑)

さて、このブログにおいて何回も指摘してきていることですが、日本では何かと「和」が大切とされ、和を乱さず、みんなと同じであることが良しとされる傾向にあります。

今回の問題もまた、

「日本人はみんな髪の毛は黒」

「黒でなければ不良」

「黒でなければみんなと同じ色にしろ」

という「日本の常識」と「同調圧力」が根本的な原因なのです。

今回の大阪の学校の問題に対しては、世間のほとんどが批判的な意見ばかりのようですが、でももしあなたが茶髪の生徒が多い学校を見たらどう思いますか?

「生徒の髪の色なんて全く気にしない」と言えますか?

「個性的な生徒が多くていい学校だ」と思いますか?

あなたに子供がいたらその学校に通わせたいと思いますか?

恐らく、ほとんどの人が、「この学校は荒れてそう」「成績が悪い生徒が多そう」「できたら自分の子供はここには行かせたくない」などと否定的な意見をもつのではないですか?

少なくとも、茶髪の生徒が多い学校に対してポジティブなイメージを持つ人はほとんどいないと思います。

そう考えるとこの学校側の、「茶髪の生徒がいると学校の評判が下がるから」という主張に対して、一概に学校ばかりを悪者にはできないでしょう。

結局のところ、学校も、先生も、生徒もみんながこの「日本の常識」と「同調圧力」の加害者であり被害者なのです。

もっと個を尊重し、多様性を認めるべき

私が現在住んでいるオーストラリアでは中学生でも髪の色を変えることなど何の問題にもなりません。

子供が髪を違う色に染めると、それを見た親は「あら、いいわねー」などと言っています。

日本と違い、オーストラリアには様々な人種がいて肌の色も髪の色も目の色もみんな違うので、そのあたりのことが問題にならないのは自然のことだと思うかもしれません。

でも髪の毛を染めるだけでなく、ピアスを付けたり化粧をしている生徒もたくさんいます。

だからと言ってそういう子供たちが勉強ができないというわけではありません

私は、「何でもオーストラリアが良い」とか「欧米を見習え」とは言いません。

でも、公平に見て、日本のように何でも周りと同じでなければならず、少しでも違う箇所があると批判される社会は本当に息苦しいと思います。

日本では最近、「グローバル化」という言葉をよく耳にします。

同じ日本人同士でもみんな見た目や個性が違うわけですが、世界に出たらその違いがもっと顕著になります。

そして、特に欧米社会では「個」が非常に尊重されます。

そんな世界に打って出ようとしているのに、個性や多様性を認めない学校や教育者、そしてそれを常識としている日本の社会はとても世界では理解されないでしょうし、そのような島国的価値観や教育は笑いものになることでしょう。

「地毛証明書があるのに黒髪を強要するのは人権問題!」と言っている人もいます。

確かに今回の事件は人権問題と言っても良いものだと思います。

しかし、この問題はそれ以前の、日本の大人たちの狭量で凝り固まった意識の問題なのです。

改めて言いますが、そうやって批判している人たちのどれだけの人が、茶髪の生徒が多い学校を偏見のない目で見ることができるでしょうか?

こんな大人たちが教育、育児している社会で「グローバル化」などとは笑止千万です。

まずは学校の先生を含めた大人たち自身が多様性を認め、おかしな偏見を捨て、個人個人の好みを尊重するところから始めるべきでしょう。

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かわずん
アンチ・ブラック企業ブロガー