移住して気付いたオーストラリアの4つの嫌な点

このブログは日本の常識をオーストラリアのそれと比較することによって日本がより暮らしやすい社会になればと思って始めたわけですが、私が「オーストラリア万歳」的な思想だとか、「日本が嫌い」だとか「日本批判ブログ」だと思われることもあるようです。

ブログの趣旨的にどうしてもそのような印象を与える記事が多くなってしまうわけですが、実際には私は日本も好きですし、好きだからこそもっと日本が住みやすい良い国になって欲しいと思っているわけです。

「住めば都」という言葉もある通り、オーストラリアも15年も住んでいると馴染んで好きになってくるわけですが、それでもやはり色々と目につくところはあります。

今回はそんな、私が感じた「オーストラリアの嫌な点」を紹介してみたいと思います。

顧客サービスがいい加減で無責任

これはオーストラリアに限らず、海外の国ではよくあることだと思います。

例えば、「後で電話をかけます」と言ってもかけてこないということなど日常茶飯事です。

「あとで担当者から電話します」などと言われたら、まずかかってこないと思ったほうが良いです。

なので私はそう言われたら暫くしたらまた電話して催促し続けるくらいの気持ちでいます。

また、何かで会社などに問い合わせをしても、「それはあっちの会社にかけてください」と言われ、言われた会社にかけると「それはあっちの責任でこちらではどうしようもありません」みたいなことを言われたらい回しにされることも良くあります。

なぜ客が振り回されないとならないのかと毎回つくづく思います。

こっちの人達は、「この人のために問題を解決してあげよう」という姿勢が全くない人が多くいます。

自分が分からなければ他の人や会社に責任を押し付けるだけ。

「あなた、ここにいる必要性全く無いね」と言いたくなります。

まあ、「仕事第一」、「お客様第一」の日本のような社会でないおかげで自分自身も気楽に働けるという良い面もあるわけですが。

それにしてもやはりイラッとすることがよく起こります。

物乞い

オーストラリアのホームレスはダイレクトに「お金くれ」と言ってきます。

日本のホームレスはあまり声をかけてくることはありませんね。

文化的な違いなのでしょうか?

オーストラリアでは道端に座って、「お金を恵んでください」といったような文字を書いたダンボールを置いて黙って座っている人も結構見かけます。

こうやって座っている人達はあまり声をかけてこないのですが、バス停や電車の駅などで「お金をください」とねだってくる人達も結構います。

聞き方は多くが、「1ドル余ってたら恵んで」と言った感じです。

他にも、「余ったコイン持ってない?」とか、「家に帰るために電車に乗りたいんだけどお金がなくて。1ドルでも50セントでもいいから余ってたら恵んで」と言ってくるのもよくあります。

私などは、「お金が余ってるわけないだろうが!」といつも思うのですが・・・

ねだってくるのはいかにもホームレスという格好をした人から、普通の格好をしていて、「なんでこの人物乞いする必要あるの?」と思う人まで様々です。

まあ、物乞いをしているからと言って法律に反しているわけでもないですし、外を歩いていて声をかけてくるくらいは「うざいけど、まあ仕方がない」と思います。

私が一番嫌いなのは電車の中などで物乞いをしてくるタイプです。

外で見かけたら避けて歩けば良いわけですし、声をかけられても断ってすぐに立ち去れます。

しかし、電車の中のような閉鎖空間で自分が座っていると、立ち去ることも難しいのでとても困りますし嫌な気分になります。

電車の通路を歩いて順番にお金をせびっている人が自分の方に向かってくるのを見ると、面倒だし落ち着かない気分になります。

特に私は一人で電車に乗っている時はリラックスして誰にも邪魔されずに考え事や調べ物ができる貴重な時間として使っているので、このようなことでそれが中断されるのは気持ちの良いものではありません。

他の人がどう感じているのか知りませんが、電車の中などでは意外とそういう人達にお金を恵んでいる人がいます。

観察していると、外で声をかける場合と比較して電車の中のほうが確実にお金の入りは良さそうです。

閉鎖空間だから断り辛くてあげてしまうのか、座っているから財布を出しやすいからなのか分かりませんが。

このような場所で誰もお金をあげなければ、このような物乞い行為は無くなるのでしょうが、あげる人がいるからこういう迷惑行為が絶えないわけです。

寄付をお願いしてくる

寄付をお願いしてくる人もあまり良い気分がしません。

これも物乞いと同じく道端でやっているのなら別にいいのです。

しかし、わざわざ家に来るのは勘弁して欲しいです。

土日など、家族でゆっくりしている時にこういう邪魔が入るとそれだけで気分が悪くなります。

彼らは週末に一軒一軒家を周って寄付を集めているわけなので、そういう意味では頭が下がります。

しかし、休みの日にドアベルが鳴って誰だろうと思って出てみたら「寄付をお願いします」と言う人だと正直ウンザリします。

この場合も一対一で面と向かって話すことになるので断りづらいのも嫌な点です。

そして一番イヤなのはやはり電車の中で寄付を募ってくる人です。

上記の電車の中の物乞いと同じで、断りづらいというのもありますが、いずれにしても電車の中や駅で電車の運営会社に許可を得ずこのような寄付を募るのは違法です。

彼らは恐らく許可など得てないと思いますし、そもそも電車の車内で募金活動をすることに会社がOKを出すとは思えません。

こうやって電車の中で募金活動をしている人達は本物なのか偽物なのか良く分かりませんが、きちんとした団体の人ならばそういったやり方はしないはずなので、私は募金と称した物乞いだと確信しています。

喫煙

私はかなりの嫌煙派です。

他人が吸って吐いた有毒の煙など気持ち悪くて絶対に吸いたくありません。

日本では未だに「分煙か禁煙か」などと言う議論がありますが、オーストラリアでは屋内の公共の場所では基本的に全面禁煙です。

屋外であっても駅やバス停などで屋根がついているところでは禁煙です。

ちなみに、オーストラリアでは社会的な禁煙の流れに沿う形で煙草は頻繁に値上げされてきていて、今は一箱25ドル(約2100円)程度するのが主流のようです。

しかも、2020年までに40ドルに値上げする計画があるようです。

それでもやはり吸っている人は吸っていますが・・・彼らは一体いくらになったら諦めるのでしょうか?

まあ、こういう環境を見ていると日本がいかに喫煙に対して甘いかが分かります。

日本のレストランでは分煙などと謳っている所であっても煙をきちんと遮断できてないことも多く、禁煙席まで匂いが漂ってきたりします。

私は自分自身がタバコの煙や臭いが嫌いなわけですが、子供ができてからはさらに気になるようになったので、きちんと煙や匂いがブロックされてないようなレストランには二度と行きません。

さて、オーストラリアが喫煙に対して厳しくなってきているのならば何が不満かというと、それは歩きタバコです。

欧米と比べて喫煙者に対して甘い日本でさえ、「歩きタバコ禁止条例」がある自治体が出てきているのに、喫煙者に対して厳しいオーストラリア社会でなぜ歩きタバコが許されているのか理解できません。

前を歩いている人から煙が漂ってくると、暫く立ち止まって距離を開けるか息を止めて早足で歩いてその人の前に出るようにしているのですが、なぜ自分が彼らのためにそういう面倒なことをしなければならないのかと思うととても理不尽な気持ちになります。

煙草を持っている手を振りながら歩いている人などは論外です。

喫煙をする人は喫煙をする自由などを叫んでいますが、それならば吸った煙は吐かないで全部飲み込んでもらいたいものです。

私は煙を吸いたくないのですから。

是非今後は歩きタバコは違法にして、喫煙は灰皿が設置されている喫煙所だけに制限して欲しいものです。

そして日本はせめて今の欧米並みの制限にしていく方向でお願いしたいものです。

 

以上、楽しんでもらえたでしょうか?

いずれにしても、世界中どこに行っても100%不満のない国など無く、どこでも長所短所があるものです。

日本国内でも同じです。

その中でより自分に適したところを探して選んでいくというのが私たちにできることなのではないかと思います。

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かわずん
アンチ・ブラック企業ブロガー