
メルボルンは真冬真っただ中で毎日ガスヒーターの前に座り込む、寒がり屋のミセスかわずんです。
でも、子どもたちは外が大好き。
先日は、友達家族と近くの公園でBBQ&ピクニック。
住宅街の中にこんな広い公園あって、しかもBBQ台が無料で使えるし、芝生もキレイでピクニックシート広げて一日ゆっくりできて、メルボルンの公園は最高ーっ!
子ども達は夕方までたっぷり遊んで、大人は近くのカフェで買ってきたコーヒーでまったりコーヒータイム。
メルボルン人にとってはなんだか普通の週末の過ごし方になっちゃってるけど、こうして書いてると自然を感じながら生活できて自分の理想に近くて、しあわせだなぁ~
少しずつシンプル&スローライフにトライしてみよう
最近、「シンプルライフ」「スローライフ」に少しずつ興味を持っているミセスかわずんです。
いろんな便利なものがたくさんある豊かな時代ですが、あれもこれも選ぶことによって、便利な毎日が送れることは間違いないのですが、なんだか更に忙しくなっているような気がするのです。
自分がやる代わりに機械にやってもらう。余った時間でホッと一息・・・と思いきや、PC見たり、携帯見たり、何かと忙しくしています。
ルンバ(自動掃除機)を使って掃除してもらったら時間に余裕が出るはずなのに・・・
炊飯器でタイマーセットしたら、ご飯が炊けるまで時間に余裕が出るはずなのに・・・
歩くよりも車の方が速いから速く行動できる分、時間に余裕が出るはずなのに・・・
なんでも速くできることを前提に全ての用事や約束事を入れてしまった結果、より忙しくなっているんだと気づきました。
忙しい生活が好きなら万事おっけーなんですが、私はどうも好きじゃない。
「便利な日常=気持ちに余裕のある日常」というわけではないことに気付きました。
時間を無駄にしないで効率よく!という教育の結果
やはり教育の中で「時間を無駄にしない」とか「効率よく動く」とか「綿密に計画立てる」ことが素晴らしいことであり、社会人として一人前の証拠の一つとして植え付けられた感があります。
「何も考えない時間」が「時間の無駄遣いでダメなこと」、
「ゆっくりと行動すること」が「非効率な行動で怠け者でダメなこと」、
「計画をしっかり立てないで行動すること」が「ただのバカで、バカになることはダメなこと」だと思ってきました。
だから、賢く、効率よく、時間短縮して、たくさんのことをやりこなさなければならない、と思って生きてきた結果、「忙しいと感じる生活」を送る毎日になっていました。
それが楽しいなら、もちろんそれで万々歳ですけど。
どんな日常を送りたいのか?
では、「どんな日常を送りたいのか?」と自問自答してみました。
「忙しい」「時間がない」「もっとゆっくりしたい」と愚痴るだけでは何も変わらない!
答えは「時には忙しい一日を送ることがありつつも、基本的には一日一日を味わって生活し、自然や状況や子どもに柔軟に対応できる生活がしたい」でした。
「味わう」という行為は、意識が「今」にないと決してできません。
例えば、ミカンの味を味わいたいときに、あれやこれやとミカン以外のこと(会議のことや友達のこと今日の晩御飯のこと、年金のことなど)頭が考えていると、「食べる」という行為はできても、「味わう」という状態にはなりません。
PCしながら、またはTV見ながら食べたポテトチップスって、あっという間になくなりませんか(笑)
しかも、気付いたらなくなってた・・・という感じ。
シンプルな材料で作られた料理がもたらしてくれたもの
先日、友達が「バナナと卵と米粉とベイキングパウダー」だけのマフィンを焼いて持ってきてくれました。
砂糖をたっぷり使うマフィンとは違って、味はガツンと甘みがやってきません。
ガッツリ甘いものに慣れている脳は「あれ?味ない?」と始めは思ってるようですが、どんな味なのかゆっくり噛み始めました。するとふんわりとバナナの香りが広がって、「おお!」という感動があり、さらに他の香りを探し始めて、ベイキングされた米粉の香りも広がってくることに気付きました。
このマフィンによって「食べ方」を自然と変化させられたことに驚きでした。
シンプルな材料で作られた料理は素材を「味わう」という行為に自然と集中させられるようなんです。
自然と行為がスローになる。
カフェで食べるマフィンも美味しいんですが、「うん、美味しかった!」ぐらいの感想しか出ないな、と気付きました。今までマフィンで小麦粉とか米粉の香りとか感じたことないな。
「シンプルな料理は自然とスローライフを導き出してくれる」という思いがけない気付きがありました。
食べたあとは、なんだかゆったりとした時間を過ごせたようで、心が満たされた感がありました。
シンプルライフって実はハードル高い?
私が今までイメージしていたシンプルライフは、いわゆる「不便な生活」でした。
例えば、
- 電子レンジ使わない
- 電化製品に頼らない
- 自給自足
- 家庭菜園
- 何をするにも時間がかかる生活
などなどで、今の自分の生活でやっちゃったら、たぶんストレスだなと思ったわけです。
私は自宅で自営業していて、家事に仕事の時間を奪われては困るので、家事ではとにかく「楽したい」と思っていました。
そもそもこの「楽(ラク)」って自分の幸せ度全然上げてなかったんです。
より自分を忙しくしているだけだったんです。気付いた時、衝撃でしたー。
「楽(ラク)」しようとして、逆に「楽(ラク)しない生活」送っていたなんて・・・。
結局、楽して手に入れた時間を全て仕事に回したり、用事を済ませる。
より忙しい。より体力消耗。
そして、仕事に関しても余計なことまでやってるんですよねぇ~、こういう人って(笑)
人に頼らない。全て自分でやろうとする。
人ができることまで自分でしてしまう。
だから、余計時間がない!と思ってる。
で、さらに家事の時間がうっとうしくなる。
好きだったはずの料理すら、「嫌い」と思うようになる。
「子どもとたくさん時間過ごしたい」と思いながら、子どもが遊んでーというと「そんな遊んでる場合じゃない」と思い、「今は遊べない!」と断る。
これって・・・望んでいた生活?
実は望んでいた生活だったっていう・・・
よくよく考えると、「仕事しながら、子育てして、家事もやりたい」っていうのが、私の望み。
うん、叶ってる(笑)
では、なぜに満足していないのか・・・
「仕事、子育て、家事」の全てを「ちゃんとやれてない気がする」というだけ。そんだけ!
「子育てのせいで、仕事がはかどらない」とか。
「仕事があるから、料理落ち着いて作れない」とか。
「家事があるから、子どもと遊ぶ時間作れない」とか。
全てを100%やれてないと、「やれてない」と思ってることがどうやら原因です。
1人の人間がすることなんだから、「仕事+子育て+家事」全てを合わせて100%という計算が普通なのに、「仕事=100%、子育て=100%、家事=100%」にしようとしている。人間3人必要。不可能なことに挑戦してる(笑)パーマンのニセロボット2体必要(例えが古いわ)
どんだけスーパーウーマンになろうとしてたんだろうか。
さぁ、諦めよう(笑)
私は、人間だ。ただのウーマンだ。
「仕事30%+子育て30%+家事30%+自由時間10%」でやってみよう。
というか、今までもこんな割り振りだったわけだけだから、
今までもこうやってきていることに気付けばいいだけで、それしか無理だと完全に降参するしかない!
結局シンプルライフって?
結局、私の望んでいるシンプルライフっていうのは、「○○すること」というわけでなく、「自分の頭の中をシンプルにすること!」だな。
- あれこれ悩んで複雑にしないで、シンプルにやれる分だけやる。
- どれが体にいいとか悪いとかメニューを複雑にしないで、シンプルに食べたいもの食べる。
- 仕事終わってなーい!!わーどーしよーとか、やっぱり叫んで(やっぱり叫ぶんだ・笑)、そのあとは、シンプルに諦めよう(笑)
- 食事のときも「あーだこーだ」考えてないで、シンプルに「おいしいな」とか味わおう。
こういうシンプルライフが、私にはピッタリだ!!